麦飯石利用の歴史

麦飯石のクローズアップ写真

麦飯石はこんな石

漢方の薬石として中国で2千年以上の歴史

1061年。歴史の中で麦飯石の名が初めて登場します。中国は宋の時代。漢方の専門書「本草図経」の中に、薬石として記されました。その後も、中国漢方史に残る古典的名著「本草綱目」(1590年)をはじめ、様々な漢方書で紹介されています。

文献上は千年弱の歴史がある麦飯石。しかし実際の利用は、もっと古くからと考えられています。経験薬の成り立ちや、漢方文献の性質からみて、文献初登場から遡ることさらに千年というのが通説です。

麦飯石は、2千年以上の利用の歴史があるのです。

現代にも通じる歴史の中の麦飯石利用方法

薬石としての麦飯石は、腫れもの・吹き出ものなどの皮膚病や、鎮痛に効果が高い外用薬として使われてきました。

しかし重要な用途がもう一つあったのです。それは「水にパワーを与える」という、この石の最大の特徴を活かしたものでした。

内服用の丸薬を練る時に、麦飯石の水も使われたとのこと。このため昔の薬業界では、中国産の丸薬は長持ちしてよく効く、といわれました。この効果が、飲料水の改善にも使われるようになったのです。

戦前までの日本では「幻の石」

日本で麦飯石の存在が知られるのは、江戸時代以降になります。といっても、専門書などで紹介される程度。一般にはほとんど知られることはありません。専門家の間でのみ知られる存在だったのです。

明治以降もこの状況に変わりはなく、いつしか麦飯石は、「幻の石」といわれるようになりました。そんな日本で、戦後、麦飯石が発見されたのです。

麦飯石発見秘話

岐阜県の美濃白川町に、昔から「お酒をおいしくする石が出る」として知られる山がありました。そこから流れ出る谷川の水を引く田んぼの稲は、日陰でも生育が良い。また、その水を使っていると日焼けしないとか、石をお酒に入れると味が良くなるとか、地元の人々はいろいろなことを言い伝えてきました。

昭和22,3年頃のこと。当時この山の持ち主だった丹羽さんという人が、心臓弁膜症を患い苦しんでいました。ある日彼は、「この石の水が病気に効くのではないか」と考えます。以後、生活のあらゆる面にこの水だけを使ったところ、いつの間にか心臓は快調になったのです。

驚いた丹羽さんは、岩石研究の権威である故益富寿之助博士に、この石の鑑定を依頼しました。その結果、この石が中国で古来から活用されている麦飯石と同じ石であると判明したのです。昭和30年のことでした。

「幻の石」から「お酒のうまくなる石」へ

麦飯石の発見は、専門家の間では話題になりました。しかし一般に知られることはありません。丹羽さんは、この石をなんとか世に出したいと考えます。

そこでまず、地元の伝承どおり「酒のうまくなる石」として発売したのです。また、麦飯石粉末を塗りつけたお酒のおいしくなる「長寿杯」が商品化されました。こうした発見当初の取り組みは、この石の効用面だけでなく、販売面でも限定的だったようです。そのためか、普及には至りませんでした。

丹羽さんは、この石の効用をもっと広く活用しようとします。岐阜県庁の薬務課に、麦飯石を持ち込みました。人助けになる薬石の頒布について相談するのです。たくさんの試用者の卓効も報告したといいます。しかしまったく相手にされません。

麦飯石、科学と出会い「ミネラルウォーターを作る石」として世に出る

丹羽さんはそれでもあきらめません。そしてついに、転機が訪れます。

昭和34年、岐阜薬科大に麦飯石の研究を依頼するのです。当時の学長が興味を示され、同大学の大野武男教授を中心に研究が開始されました。2千年以上の歴史を持つ麦飯石に、このとき初めて現代科学によるメスが入ったといわれています。

岐阜薬科大を中心とする研究により、麦飯石の持つ特質やその仕組みは、かなりの部分が解明されました。しかし薬石としての効果が完全に立証されるには至りませんでした。そんな中で麦飯石は、本格的に世に送り出されるのです。

昭和40年代後半になると、健康食品ブームが起こります。麦飯石もこれに乗りました。「不思議な石」「水道水をミネラルウォーターに変える石」として、世間に広まり始めたのです。昭和50年前後には、静かなブームとでもいえる状況になります。利用法についての書籍が出版されたのもこの頃です。

しかしこの状況は、長くは続きませんでした。思わぬ落とし穴があったのです。

麦飯石の挫折と復活

当時の主要販売会社は、マルチ商法の先駆けともいえる手法で麦飯石を販売していました。一時期まで業績は好調だったものの、ピラミッド式に会員が増えなければ破綻するのがマルチ商法。

昭和53年、この会社は倒産し、採石場も閉山します。さらには資金繰りの悪化に伴う手形詐欺容疑で摘発されるのです。この事件は、麦飯石のイメージを悪くしました。

こうして挫折した麦飯石ですが、利用者は正直でした。その効果を認めて使い続けます。年が経つとともに麦飯石の人気は、じわじわと復活してきたのです。

昭和60年頃になると、第二期静かなブームといえる状況になります。この時期の特筆すべきことは、中国産麦飯石の輸入です。昭和50年前後の第一期静かなブームは、国産麦飯石(白川町産)だけによるものでした。中国産の輸入により、流通量は増え、値段も安くなります。これに伴い、麦飯石の利用者はますます増加しました。

多方面で活用が進む平成の麦飯石

平成を迎えて、麦飯石の利用方法は大きく進化します。基本から応用へと変わってきたのです。

この時期以前は、単純な利用方法が中心でした。石を水に浸ける、微粉末パウダーをお風呂に入れる・顔に塗る。どれも昔からの言い伝えを基本にした方法です。その方法が、健康ブームに乗って個人レベルで広まったのです。消費者は、麦飯石や微粉末パウダーそのものを購入し、使っていました。

しかしこの頃から、麦飯石の機能を活用した商品として発売されることが多くなってきました。企業レベルでの活用が本格的に始まったのです。消費者は、知らないうちに麦飯石の機能だけを使っている。そんな時代がやってきたのです。

こうして麦飯石の利用は、基本から応用の段階に入りました。活用の場は広がり、麦飯石の存在価値は高まります。中でも麦飯石の消費と知名度を高めた代表的な活用法は、次の2つです。

第1に、24時間風呂です。お湯を循環・浄化し続けることで、「いつでもお風呂に入れる」この機械。ろ過装置のろ材に麦飯石も使われました。24時間風呂が人気のあった平成一桁年代は、麦飯石の消費量も過去最多といわれています。

第2に、麦飯石水溶液です。アクアリウム用水質調整剤として大ヒットします。水溶液発売以前からも、麦飯石は熱帯魚等の水槽用に使われてきました。しかし、アクアリウム市場だけをターゲットに絞って商品化したことが新しかったのです。
先行メーカーの発売が平成5年。その後各社が追随し、麦飯石水溶液は市場に入り乱れます。現在は沈静化しましたが、水質調整剤としてもはや定番となりました。麦飯石の知名度を最も高めたのは、この分野だといえます。

現在、麦飯石の活用分野は、ますます広がっています。美容・化粧品、健康機器、農業・園芸、畜産業、食品加工、、etc。自然の恵みであるこの貴重な資源は、未来に向けてさらなる有効活用が期待されているのです。

麦飯石歴史年表

年代日本中国
1061年
(康平4年)
「本草図経」に薬石として掲載
1505年
(永正2年)
「本草品彙精要」に掲載
1590年
(天正18年)
李時珍編著の「本草綱目」に掲載
1607年
(慶長12年)
「本草綱目」渡来
以後、江戸時代に6度の刊行
1801年
(享和元年)
奇石収集家 木内石亭編著の「雲根志」に掲載
1803年
(享和3年)
江戸期の代表的本草学者 小野蘭山編著の「本草綱目啓蒙」に掲載
1918年
(大正7年)
漢方薬学者 清水藤太郎が信州山中で麦飯石探索行、発見できず
1921年
(大正10年)
「中国医学大辞典」に掲載
1930年
(昭和5年)
「地質鉱物大辞典」に掲載
1950年
(昭和25年)
岐阜県加茂郡白川町で麦飯石発見
1955年
(昭和30年)
故益富寿之助博士により麦飯石鑑定
1959年
(昭和34年)
岐阜薬科大の大野教授らにより研究開始
1961年
(昭和36年)
大野教授「麦飯石の研究」発表
1969年
(昭和44年)
「中国薬学大辞典」に掲載
1974年
(昭和49年)
麦飯石微粉末が医薬部外品(浴用剤)認可
1975年
(昭和50年)
この頃第1期静かなブーム
1976年
(昭和51年)
「麦飯石美容・健康法」主婦の友社から出版
1978年
(昭和53年)
当時の主要な販売会社が倒産、詐欺容疑で摘発
1985年
(昭和60年)
この頃第2期静かなブーム
この頃中国産麦飯石輸入開始
1995年
(平成7年)
食品添加物(既存添加物)指定
現在に至る
年代日本中国